ヴァージニア・ヘンダーソン(Virginia Henderson)
ヘンダーソンは
「看護とは病気、健康を問わず、もしその人が十分な強さ、意志、知識をもっていれば他人の助けがなくても実践できたようなレベルで、その健康や回復に関連した活動を実践できるように支援することである。」
と述べています。
ヘンダーソンは看護は患者が自分で助かっていく過程を手助けするものに過ぎないと言っているわけです。
看護師は裏方であり、そっと患者を支える存在である。
いい考え方だと思います。
ドロセア・オレム(Dorothea Orem)
続いてオレムさんは
「看護とは、セルフケア活動のために個人のニードに対する特別の関心と、生活と健康を維持するために、あるいは病気や怪我からの回復のために、またそれらの影響に適応するために、継続的に基本にもとづいてケアを提供したり管理したりすることである。」
と述べています。
わかりやすい看護の定義だと思います。
ほとんどの看護師さんはこの考え方で動いているといって過言ではないでしょう。
怪我した人をケアしたり管理する。
それが看護師の仕事ですから。
マーサ・ロジャース(Martha Rogers)
ロジャース氏は
「看護とは、科学的研究と論理的分析によってたどりついた、抽象的な知識の組織化された体系を伴った科学である。それはヒューマンサービスにおいて知識の体系を創造的に使用するアートである。」
と述べています。
このように考えて看護をしている人は少ないと思います。
どちらかというと大学の研究者なんかはこう考えてもおかしくはありませんが・・・・
実践的ではありませんね。
シスター・カリスタ・ロイ(Sister Callista Roy)
続いてロイさんは
「看護とは、実在あるいは潜在的な疾病をもっている人に対する、ケアに関連した分析と活動のプロセスを処方する知識の理論的体系である。それは、通常ではないストレスや減弱されたコーピングのメカニズムによってその人の通常のコーピングが非効果的になる場合に必要となる。」
と言っています。
これも理路整然としていて、わかりやすいですね。
つまり、身体・精神状態に問題がある人に対し必要なものが看護であると言っているわけです。
当たり前のことですが、言葉にしてみると難しいものです。
まとめ
看護とはの一つの問いに対する限定された答えとしての型が看護の定義です。
看護職者は他の領域の人々に看護を説明するときには、この定義をもって説明すれば、誰にでも明確に伝わります。
しかし、定義はある抽象レベルの表現であるから、組織的・機能的な具体的な実践活動における考えが追加説明されてこそ、確かな伝達法であり、看護学としての説得力をもつもにになります。
ですが、実際にどうでしょうか?
管理研究家によって定義が違うわけですから、混乱してしまいますよね。
看護に決まった定義はなく、とりあえず自分が考えることが看護なわけで、自由自在に操れるものであると考えていいでしょう。
看護に形はないわけですから誰もが自信を持って自分の看護に取り組んでいいのだと言えます。