ターミナルケアとは身体的な健康のレベルが低くなって、不可逆的な状態となり、死を迎える時期に提供されるケアのことを指します。
ここで提供されるケアは、ターミナルという時期の特徴を十分ふまえたものである必要があります。
看護学生さんはターミナルケアの看護過程やアセスメント課題を目の前にしたとき、その難しさにしり込みしてしまいがち。
理由としてターミナルケアについてはあまり詳しく看護学校では習わないことが一つ言えます。
また、実習などでもターミナル患者を受け持つことはそこまで多くないケースです(当然ですが、病院側もできれば安全な患者を学生に受け持たせたいと考えているので)
つまり、学生にとってターミナル患者のケアはとても難題というわけです。
このブログではターミナルについて詳しく説明していきます。
ターミナルとは
「ターミナル」という言葉のイメージは、いわゆる「最後に行き着くところ」といったものであり、必ずしも肯定的なイメージではありません。
しかし本来そこには、人生の仕事をなし終えて、休息をするときがきたことを安堵の気持ちで迎える静かな空気を感じることもできます。
そういう意味で「完成期」といういい方をする人たちもいるそうです。
また end of life という言葉も使われています。
これまで否定的なイメージだけがつきまとってきたターミナル期を正確に理解してもらうためにさまざまな言葉が生みだされてきたわけです。
米国の 1990年代の死に関する態度の変化について、ハイスフィールド・ウォルフ(Haisfield-Wolf、 M. E.)は、
「従来死は生と同じようにライフイベントという宿命の一つとして自然に起こるものとしてとらえられてきたが、医療技術の進歩によって日常生活から切り離され専門家の手によって取り扱われ、死を受容することはむしろ不自然になってしまった」
と述べています。
わが国においても死はもはや日常的な出来事ではなく、病院という特殊な場所に隔離されています。
一般の人々は地域社会の中でターミナル期にある人や死にゆく人に出会うことはなく、いざ自分の家族がターミナル期を迎えると、どのように接してよいかわからずとまどってしまいます。
みなさんも心当たりはあるのではないでしょうか?!
医療従事者も同じようにコミュニティで暮らしている人間であることには変わりはなく、 ターミナル期の患者をケアする技術は特定の訓練を受けた専門職以外は洗練されていないのが現状です。
このような状況は患者にとっても家族にとってもターミナル期を過ごしにくいものにしていると言えそうです。
実際に1951年に9.1%だった病院での死亡は、2013年には 75.6%まで増えています。
同じく自宅での死亡は1951年に82.5%であったものが 2013 年には 12.9%まで減少しています。
つまり、人間が「人の死」に直面しなくなったのはごくごく最近の事なのです。
死を病院に隔離したために死に対する人々の態度は大きく変化してきました。
家族の一員が死を迎えるとき、他の家族成員は大きなストレスをかかえることになりますが、現在ではその対応能力は低下していることが容易に予測できます。
本来ターミナルケアはコミュニティの中で多くの人々がかかわって行われるべきケアであるが、今日、わが国ではターミナルケアの担い手は多くが医療の専門家になってしまいました。
家族の形態など社会的背景の変化をふまえて、ターミナルケアの提供形態も変遷することは必要なことですが、死が特定の専門職の手にある限り、患者や家族のニーズを満たすことはますます難しくなるのではないでしょうか?
隔離された死によって、ターミナル期の否定的なイメージが固定化されてしまい、死にゆく患者に接することを人々がむやみに怖がり、死にゆく患者から遠ざかるようなことがあってはならないと思います。
現在の医療体制を変えることは難しく、人が死と向き合うことは今後もどんどん減ってくると思います。
しかし、それはとても不自然なこと。
人の死を受け入れてこそ人間は人間らしく生きられるのだと思います。
死を受け入れないことで死の恐怖はどんどん大きくなります。
人間の身体が腐敗すること、みにくくなること、骨があること。
これらをすべて忘れてしまいます。
人の死を想像できなくなります。
それほど恐ろしいことはないと思います。