ナイチンゲールとは・・・・・
看護の定義を最初に示した人物がフロレンス・ナイチンゲールです。
ナイチンゲールは、「看護覚え書き」のなかで、「病気とは回復過程である」と定義しました。
具体的に言うと、看護師はある人の個別的な健康に責任を負うことを仕事とし、病人の回復過程を妨げることなく、それを促進させるため、回復にふさわしい環境を整えることが大事だと述べた。
また、「それは自然が患者に働きかけるように最善の状態に患者をおくことである」と自然や環境の重要性を示した。
つまり、不自然なことをしたら病気になりますので、自然にナチュラルに患者が回復するのを待ちましょうということです。
また、ここで注目すべきは、「病気の看護ではなく、病人の看護というところに注意してほしい」と看護が、医学とは病気の捉え方が異なることを初めて示したのです。
医学と看護が違うなんて・・・・混乱してしまう人も多いかと思います。
だって、医学に基づいて看護は行われますからね。
それを独立させるなんてさすがナイチンゲールです。
そして、ナイチンゲールの提唱した基礎概念は、科学としての看護、実践としての看護を理論構築の側面から示し、看護が学問として発展すべく礎を示したのです。
このことによって看護が近代看護にむけて歩みはじめます。
彼女はイギリス人の裕福な家庭のお嬢様としてイタリアのフィレンツェ(フローレンス)で生まれたのですが、1853 年トルコ領内の聖地エルサレムの管理権をめぐる、 ロシアとトルコの間で始まったいわゆるクリミア戦争に際し、多くの看護婦を率いて傷病兵の看護に当たりました。
まさにマザーテレサ的存在ですね・・・・って、マザーテレサとナイチンゲールってどっちが年上なんだっけ( ´∀` )藁
この戦争には翌年イギリス・フランス・サルディニアがトルコに加担して参戦、 クリミア半島のセヴァストポリの攻囲に出兵しました。
3年後の 1856 年パリで講和条約が成立し戦争は終結しましたが、傷病兵からナイチンゲールは「クリミアの天使」と呼ばれた。
天使と言われるほど美しかったのでしょうか・・・・詳細は謎です
ナイチンゲールは看護師として優れた業績を残し、現代ではともするとそのことが看護学の祖としての評価を得ていると考える人も多いですが、看護学の祖としての彼女は実は数学者として「看護」を「看護学」に高めたのです。
ナイチンゲールは傷病兵の病態を観察し、情報を収集し整理統合して看護学の基礎を築きました。
ナイチンゲールが生きた 19 世紀後半はまさにこうした時代で、科学的発見や発明の時代でもあると同時に、キリスト教精神を柱とした様々な社会事業がおこった時代でもあって、こうした中彼女は看護はアート Art であるとしながら看護を実践したのである.
看護はアート。
んー、イマイチよくわかりません。
だって、ぼくたち看護師は病院で毎日ルーチンワークをこなしているだけですから・・・・・
それをアートにまで高めてようとするナイチンゲールの頭ン中って・・・・・
って感じです。
そんな感じで本日の記事を終了したいと思います。