看護実習において、ヘンダーソンの看護理論を用いた看護過程の展開は多くの看護学生が学ぶ重要な内容です。
しかし、理論と実践を結びつけることに苦労している学生も少なくありません。
この記事では、ヘンダーソンの14の基本的欲求を基盤とした看護過程を、具体的な事例とともに詳しく解説します。
ヘンダーソンの看護理論とは?
ヴァージニア・ヘンダーソンは、看護を「健康な人も病気の人も、その人が一人であったなら実行するであろう健康に関する行動を、その人に代わって、または一緒に行うこと」と定義しました。
彼女の理論は、人間の基本的欲求に焦点を当て、看護師の役割を明確にしています。
ヘンダーソンの14の基本的欲求
ヘンダーソンは人間の基本的欲求を以下の14項目に分類しました:
- 正常な呼吸をすること
- 適切に飲食すること
- 身体の老廃物を排泄すること
- 身体の位置を動かし、よい姿勢を保持すること
- 睡眠と休息をとること
- 適当な衣類を選び、着脱すること
- 衣類の調整と環境の調整により、体温を正常範囲に維持すること
- 身体を清潔に保ち、皮膚を保護すること
- 環境のさまざまな危険因子を避け、他人を傷害しないこと
- 他人とコミュニケーションをとり、情緒を表出すること
- 自分の信仰に従って礼拝すること
- 達成感をもたらすような仕事をすること
- 遊び、あるいはさまざまな種類のレクリエーションに参加すること
- 学習し、発見し、好奇心を満足させること
看護過程の5段階とヘンダーソン理論の統合
看護過程は一般的に以下の5段階で構成されます:
- アセスメント(Assessment)
- 看護診断(Nursing Diagnosis)
- 計画(Planning)
- 実施(Implementation)
- 評価(Evaluation)
ヘンダーソンの理論を用いる場合、14の基本的欲求を枠組みとして情報収集とアセスメントを行います。
事例紹介:糖尿病患者のAさん
患者プロフィール
- 氏名:Aさん(65歳、男性)
- 診断名:2型糖尿病、糖尿病性腎症
- 入院理由:血糖コントロール不良による教育入院
- 既往歴:高血圧症(10年前より)
- 家族構成:妻と二人暮らし
- 職業:会社員(営業職)
- 性格:几帳面だが、仕事を優先する傾向がある
現在の状況
入院時のAさんは、HbA1c 9.2%と血糖コントロールが不良な状態です。最近、足のしびれや視力の低下を自覚しており、合併症の進行が懸念されています。
ヘンダーソンの14の基本的欲求によるアセスメント
1. 正常な呼吸をすること
収集した情報:
- 呼吸数:18回/分(安静時)
- 呼吸パターン:規則的
- 咳嗽や痰の訴えなし
- 胸部X線:異常なし
アセスメント: 現在のところ呼吸に関する問題は認められない。しかし、糖尿病性腎症の進行により、将来的に心不全のリスクがあるため、継続的な観察が必要。
2. 適切に飲食すること
収集した情報:
- 食事:「仕事が忙しく、外食が多い」
- 間食:「ストレスがあると甘いものを食べてしまう」
- 飲酒:ビール500ml×2本/日
- 食事時間:不規則
- BMI:28.5(肥満)
アセスメント: 食事管理が不適切で、血糖コントロール不良の主要因となっている。食事療法に関する知識不足と、生活習慣の改善が必要。栄養指導と生活リズムの見直しが急務。
3. 身体の老廃物を排泄すること
収集した情報:
- 排尿:頻尿(日中8-10回、夜間3-4回)
- 排便:便秘気味(2-3日に1回)
- 尿検査:蛋白(2+)、糖(3+)
- 腎機能:クレアチニン 1.8mg/dl
アセスメント: 糖尿病性腎症の進行により腎機能が低下している。頻尿は高血糖による浸透圧利尿が原因と考えられる。便秘は食物繊維不足と運動不足が関連している可能性がある。
4. 身体の位置を動かし、よい姿勢を保持すること
収集した情報:
- 運動習慣:「忙しくて運動する時間がない」
- 足のしびれ:「最近、足先がしびれる」
- 歩行:独歩可能だが、長時間歩行で疲労感
- 筋力低下:軽度認められる
アセスメント: 運動不足により筋力低下が見られる。足のしびれは糖尿病性神経障害の可能性が高い。適度な運動療法の導入が血糖コントロール改善に有効であり、合併症予防にも重要。
5. 睡眠と休息をとること
収集した情報:
- 睡眠時間:4-5時間/日
- 入眠困難:「仕事のことが気になって眠れない」
- 夜間頻尿により中途覚醒
- 日中の眠気:「会議中に眠くなることがある」
アセスメント: 睡眠不足は血糖コントロールに悪影響を与える。ストレスと夜間頻尿による睡眠の質の低下が認められる。睡眠環境の改善と血糖コントロールによる頻尿改善が必要。
6-9. 衣類・体温・清潔・安全に関する欲求
統合アセスメント: これらの基本的欲求については現在大きな問題は認められないが、糖尿病性神経障害による感覚鈍麻のため、外傷や感染のリスクが高い。特に足部のケアと観察が重要。
10. 他人とコミュニケーションをとり、情緒を表出すること
収集した情報:
- 「病気のことを考えると不安になる」
- 「妻に心配をかけたくない」
- 仕事関係者との関係は良好
- 感情表出は控えめ
アセスメント: 病気に対する不安を抱えているが、家族に負担をかけたくないという思いから感情を抑制している。適切な情報提供と心理的サポートが必要。
11-14. 信仰・仕事・レクリエーション・学習に関する欲求
統合アセスメント: 仕事への責任感が強すぎて自己管理がおろそかになっている。糖尿病に関する知識不足があり、疾病受容と生活習慣改善のための学習支援が必要。
看護診断の立案
ヘンダーソンの理論に基づいたアセスメントから、以下の看護診断を立案します:
優先度1:栄養摂取過多(血糖コントロール不良に関連した)
根拠: 不規則な食事、外食中心の食生活、間食習慣、HbA1c 9.2%
優先度2:知識不足(糖尿病の自己管理に関連した)
根拠: 食事療法・運動療法の知識不足、合併症に対する理解不足
優先度3:睡眠パターン障害(仕事のストレスと夜間頻尿に関連した)
根拠: 睡眠時間4-5時間、入眠困難、中途覚醒
看護計画の立案
長期目標(1ヶ月後)
- HbA1cが8.5%以下になる
- 適切な食事療法を実践できる
- 運動療法を継続できる
- 十分な睡眠がとれる
短期目標(1週間後)
- 糖尿病の病態と合併症について説明できる
- 1日の適正カロリーを理解し、食事記録をつけられる
- 毎日30分の歩行運動を実践できる
- 1日6時間以上の睡眠をとることができる
看護介入の実施
1. 教育・指導
栄養指導:
- 管理栄養士と連携した個別栄養指導
- 食事記録の記載方法の説明
- 外食時の食事選択のポイント指導
- 家族を含めた食事指導
運動指導:
- 理学療法士と連携した運動療法指導
- 個人の身体状況に応じた運動メニューの作成
- ウォーキングの方法と注意点の説明
2. 心理的支援
- 疾病受容のプロセスを支援
- 不安や心配事を表出できる環境づくり
- 家族を含めたカウンセリング
- 同じ疾患を持つ患者との交流機会の提供
3. 環境調整
- 睡眠環境の改善提案
- 仕事と治療の両立方法の検討
- 家族の協力体制の構築
4. モニタリング
- 血糖値の定期測定と記録
- 体重・血圧の経時的変化の観察
- 合併症の早期発見のための観察
- 自己管理行動の評価
評価
1週間後の評価
目標達成度:
- 糖尿病に関する知識:80%達成
- 食事記録の継続:100%達成
- 運動療法の実践:60%達成(雨天時の代替案が必要)
- 睡眠時間の改善:70%達成(5-6時間に改善)
修正点:
- 雨天時の室内運動方法の追加指導
- 睡眠衛生指導の強化
- 職場での血糖管理方法の具体的検討
退院時の評価
長期目標の達成度:
- HbA1c:8.8%(目標未達成だが改善傾向)
- 食事療法:適切に実践可能
- 運動療法:継続可能な方法を確立
- 睡眠:6-7時間確保可能
ヘンダーソン理論を用いた看護過程の特徴
利点
- 包括的アセスメント:14の基本的欲求により漏れのない情報収集が可能
- 患者中心のケア:患者の基本的欲求に焦点を当てた個別性のあるケア
- 理解しやすい枠組み:看護学生にとって分かりやすい理論構造
- 継続性の確保:統一された枠組みによる継続的なケアの提供
注意点
- 優先順位の判断:14項目すべてを同等に扱うのではなく、患者の状況に応じた優先順位の設定が重要
- 個別性の確保:理論の枠組みに縛られすぎず、患者個人の特性を考慮したアセスメントが必要
- 他職種との連携:包括的なケアのために、多職種チームとの連携が不可欠
実習で活用するためのポイント
情報収集のコツ
- 14の基本的欲求を意識した系統的な情報収集
- 患者・家族との関係性を築いてから詳細な情報収集を行う
- 観察と面接を組み合わせた多面的な情報収集
アセスメントのコツ
- 収集した情報を14の基本的欲求に分類して整理
- 各欲求の充足・未充足を明確に判断
- 未充足の原因を多角的に分析
計画立案のコツ
- 優先順位を明確にした目標設定
- 具体的で測定可能な目標の設定
- 患者・家族の参加を促す計画の立案
まとめ
ヘンダーソンの14の基本的欲求を用いた看護過程は、患者の全体像を把握し、個別性のあるケアを提供するための有効な枠組みです。理論的背景を理解し、具体的な事例を通して実践することで、看護学生も自信を持って看護過程を展開できるようになります。
実習においては、患者との関係性を大切にしながら、系統的な情報収集とアセスメントを行い、エビデンスに基づいた看護計画を立案することが重要です。ヘンダーソン理論の深い理解と実践により、質の高い看護ケアの提供が可能になるでしょう。
看護過程は一度学んだら終わりではなく、臨床経験を積みながら継続的に学習していくものです。この記事で紹介した内容を基礎として、さらなる学びを深めていくことをお勧めします。









